ドラマ『海に眠るダイヤモンド』の舞台!軍艦島の廃墟建築を徹底解剖!

ドラマ
記事内に広告が含まれています。

話題のドラマ『海に眠るダイヤモンド』の舞台となった軍艦島は、歴史的な炭鉱島であり、その荒廃した建物が異様な雰囲気を醸し出す廃墟スポットとして注目を集めています。

日本初の鉄筋コンクリート建築や「地獄段」など、島全体に歴史を感じさせる建物が残り、見る者に強い印象を与える構造が多数あります。

本記事では、ドラマで映し出された軍艦島の建築物の魅力や「X階段」「岸壁」などの見どころについて、ご紹介します。

この記事を読むとわかること

  • 軍艦島の代表的な廃墟建築とその歴史的背景
  • 「X階段」や「地獄段」などの特徴的な建築構造の意図
  • 観光で楽しむ際のポイントと保存活動の現状

軍艦島の廃墟建築の見どころと特徴

軍艦島はその荒廃した建物や迫力のある廃墟景観で、多くの人々を惹きつけています。

ここには、日本初の鉄筋コンクリート造住宅や巨大なアパート群、独特な構造を持つ「X階段」など、見どころが満載です。

それぞれの建築物は、軍艦島の歴史と当時の生活を色濃く映し出しています。

日本初の鉄筋コンクリート造・30号棟の歴史と特徴

1916年に建設された日本初の鉄筋コンクリート造の高層住宅である30号棟は、端島のランドマーク的存在です。

当時としては画期的な建材と構造が採用されており、台風や火災に強い耐久性が期待されました。

通称グラバーハウスと呼ばれ、当初は4階建てでしたが、完成後まもなく7階建てに増築されています。

内部は狭小ながらも居住性を追求した設計で、かつての住民がどのように生活していたのかを想像させる造りとなっています。

高度経済成長期を象徴する巨大アパート群

軍艦島には、1950年代以降に次々と建設された多くのアパート群が存在します。

特に16号棟から20号棟の一帯は、まるで「都市がそのまま廃墟になったような風景」を作り出しています。
地下には店舗、屋上には公園や農園もあれり、トイレは各棟の大廊下側に共同トイレが設置されていました。
これらの建物は、人口の急増と石炭需要の増大に応えるために建設されたもので、世界一の人口密度を誇った時代の生活感が色濃く残ります。

「X階段」とは?独特のデザインとその役割


軍艦島を代表する構造の一つである「X階段」は、二つの直線階段が交差し、文字通り「X」の形を成す特徴的なデザインです。

この階段は、人の流れを効率的に分散させるための工夫として設計されており、数多くの住人が行き交った往時の姿が想像できます。

また、独特な形状がドラマや映画の撮影にも利用されており、廃墟美を引き立てる要素として注目を集めています。

生活感の残る建物が魅せる独特の廃墟美

軍艦島の廃墟には、住人たちの生活の痕跡が色濃く残り、独特の廃墟美を漂わせています。

特に、かつての集合住宅や階段、岸壁などは、荒廃したままの姿で保存されており、当時の生活の過酷さや密集したコミュニティの様子が感じ取れます。

以下では、廃墟美を代表する「65号棟」「地獄段」「岸壁」などの特徴をご紹介します。

65号棟(報国寮)や防空用偽装塗装が残る建物群


65号棟は「報国寮」とも呼ばれ、第二次世界大戦中に防空用の塗装が施された建物です。

壁には敵機から隠れるための迷彩が施されており、その塗装は現在も一部残されています。かつては多くの炭鉱労働者がこの寮で寝泊まりしており、内部は細長い廊下と狭い居室が連なる構造です。

当時の過酷な労働環境と、報国寮という名前に象徴される戦時下の緊迫した雰囲気を感じることができ、建物が朽ちてもなお、その時代を物語っています。

「地獄段」や岸壁が作り出す圧倒的な風景


軍艦島の名所とも言える「地獄段」は、非常に急勾配の階段であり、その異様な見た目からこの名がつけられました。

端島随一の繁華街である端島銀座の正面にあり、ここを登ると端島神社で、祭りの日はここを神輿が勇壮に駆け降りました。

現在も当時の姿のまま残っており、軍艦島の廃墟風景の象徴的な存在です。また、島を取り囲む岸壁も荒波に耐える強固な構造で、まるで要塞のような迫力を感じさせます。

アパートに残された「塩降街」の名残と劣化の跡


「塩降街(しおふりまち)」と呼ばれるエリアでは、荒波が直接アパートに打ち付け、塩が吹き付けられるほど過酷な環境が特徴でした。

風雨と塩害によって建物の外壁が浸食され、コンクリートが剥がれ落ちた姿は廃墟ならではの美しさを持ち、時間の流れと自然の力による朽ち果てた風景が堪能できます。

特に窓枠や手すり部分に残るサビや浸食の跡は、まさに「風化した歴史」を見せており、訪れる人々の心に深い印象を残します。

かつての人口密集地帯を象徴する軍艦島の構造

軍艦島は、1960年代に一時、世界で最も人口密度が高い場所として記録されるほどの過密な居住地でした。

狭い土地に多くの人々が住むため、島には多層構造の高層アパートが立ち並び、都市の縮図ともいえる構造が形成されていました。

ここでは、軍艦島を支えた画期的な建築構造や独自の都市計画、そしてその後の崩壊について解説します。

世界最高の人口密度を支えた画期的な集合住宅の構造

最盛期には5,000人以上の人々が住んでいた軍艦島は、面積わずか6.3ヘクタールに過密な集合住宅がひしめいていました。

その密度は1平方キロメートルあたり83,600人にも及び、世界一の人口密度を誇っていました。

住宅はほとんどが鉄筋コンクリートで作られ、3階から9階建てが中心。効率的な動線を確保するための階段や通路が複雑に絡み合い、限られたスペースに多くの住居を収める設計が施されていました。

高層アパートが密集した軍艦島の都市計画とその崩壊

島の各エリアには生活に必要な設備が密集して配置され、一つの「独立した都市」のように機能していました。

学校や病院、映画館、商店などが揃い、居住者が島外に出る必要がないほど充実した生活環境が整えられていました。

しかし、エネルギー革命により石炭産業が衰退すると人口は急減し、1974年の閉山を機に住人は全員島を離れました。放棄された後はメンテナンスが行われないため、強風や潮風により建物が次第に劣化し、崩壊が進んでいます

軍艦島廃墟建築を観光で楽しむ際のポイント

軍艦島は今や人気の観光スポットとなっていますが、島のほとんどが廃墟であるため見学には安全面での制限が設けられています。

観光で訪れる際には、立ち入り可能エリアやルールを理解し、歴史的建造物の魅力を安全に堪能することが大切です。

以下では、軍艦島を訪れる際に知っておきたいポイントや見学ルート、保存活動について解説します。

見学ルートと上陸可能エリアの制限


現在、軍艦島への上陸ツアーが提供されていますが、立ち入りが許可されているのは南部エリアの一部のみです。

ツアーでは安全が確保された見学ルートが設定されており、観光客が自由に建物に接近したり、立ち入り制限区域に入ることはできません。

見学できる場所は限られていますが、「30号棟」や「地獄段」、「岸壁」などの主要な建築物の迫力を間近で体感することができます。

軍艦島の保存活動と修復の取り組み

長年無人の状態が続いたことで、島内の建物は風化や崩壊が進行しています。特に強風や潮風による浸食は激しく、建物の崩壊が進むことから安全対策が重要視されています。

2009年に観光客の上陸が解禁されたのを機に、一部の建物には修復作業が行われています。

しかし、多くの建築物が修復不可能な状態であり、全体的な保存には課題が残っています。そのため、観光客が少しでも安全に廃墟美を楽しめるよう、見学エリア内の維持や補修に注力されています。

ドラマ『海に眠るダイヤモンド』の舞台として映える軍艦島まとめ

ドラマ『海に眠るダイヤモンド』で舞台となった軍艦島は、単なる廃墟ではなく、かつての繁栄とその後の衰退が静かに語りかける場所です。

日本初の鉄筋コンクリート造建築や密集したアパート群、廃墟美を象徴する「X階段」や「地獄段」など、各所に残された建築物が異様で壮大な美しさを放っています。

このような歴史的建造物は、ドラマの中で独特の雰囲気を演出し、視聴者に深い印象を与えました。

現在の軍艦島は、保存や修復の限界があるものの、観光客がその壮観な廃墟美を堪能できるよう、一部エリアの見学が可能となっています。

そのため、島を訪れる際には、歴史や当時の住民の生活に思いを馳せながら、貴重な遺産を傷つけないよう見学しましょう。

ドラマでの描写をきっかけに、再び注目されるようになった軍艦島は、今後も日本の産業遺産として、その歴史とともに語り継がれていくことでしょう。

この記事のまとめ

  • ドラマ『海に眠るダイヤモンド』の舞台となった軍艦島の廃墟建築を紹介
  • 30号棟や「地獄段」「X階段」などの歴史的建築物の特徴と役割
  • 過密な人口密度を支えたアパート群の構造と崩壊の経緯
  • 観光での見学ポイントや上陸エリアの制限について解説
  • 軍艦島の保存活動の現状と課題を考察

コメント

タイトルとURLをコピーしました