『いろはの恋は時代をかける』第4話ロケ地|金王八幡宮に関孝和の算学絵馬は実在する?

2026年秋ドラマ
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『いろはの恋は時代をかける』第4話では、いろはが関孝和との約束を思い出し、生琉に金王八幡宮へ案内してもらいました。

資料館で関の絵馬を見つけて喜ぶいろは。その姿に、生琉は彼女の関への思いの強さを感じてしまいます。

この場面で気になるのが、「金王八幡宮には本当に算学絵馬があるの?」「実際に残っているのも関孝和の絵馬なの?」「関孝和も実在する人物なの?」という点です。

金王八幡宮には算額が実在しますが、文化財として確認できる3面は関孝和本人のものではありません。一方、関孝和は江戸時代に実在した和算家です。

この記事では、金王八幡宮に伝わる算額と実在した関孝和について調べ、いろはの言葉や生琉が立ち去った理由を考察します。

この記事を読むとわかること

  • 第4話でいろはが訪れた金王八幡宮の場所と、実在する算額の歴史
  • 現存する算額が関孝和本人のものではない理由と、実在した関孝和の人物像
  • 関の絵馬を喜ぶいろはの思いと、生琉が神社を立ち去った理由の考察

『いろはの恋は時代をかける』第4話で訪れた神社は金王八幡宮

関孝和との約束を思い出し、生琉と絵馬探しへ

第4話では、いろはが関孝和との約束を思い出し、生琉とともに金王八幡宮を訪れます。

算学絵馬が見当たらず資料館へ向かうと、そこで関が書いた絵馬を発見。いろはは嬉しそうな様子を見せますが、生琉はその姿から、彼女の心にいる関の存在を意識してしまいます。

TBS公式の第4話あらすじでも、関への思いが強いいろはに生琉が複雑な感情を抱き、口論の末に一人で帰ってしまう展開が紹介されています。

いろはにとっては、離れてしまった関とのつながりを感じる訪問。一方の生琉にとっては、いろはが誰を思い続けているのかを知る、切ない時間になりました。

金王八幡宮は渋谷駅C1出口から徒歩5分

金王八幡宮は、東京都渋谷区渋谷3丁目5番12号にある神社です。

公式のアクセス案内では、渋谷駅C1出口から徒歩5分。渋谷警察署の裏手にあり、駅から歩いて訪れることができます。

1092年に鎮座したと伝えられ、境内には渋谷城に関する石も保存されています。街並みが変わっても、渋谷の歴史を伝え続けてきた場所です。

現代の渋谷に、江戸から来たいろはが知る場所が残っている。金王八幡宮という舞台は、いろはが過去とのつながりを確かめる場面によく合っています。

金王八幡宮に算学絵馬は本当にある?実在する「算額」とは

数学の問題や解答を神社に奉納する文化

金王八幡宮には、実際に算学の絵馬「算額」が伝わっています。

算額は、和算の問題や解答などを記して神社や寺院に奉納した額です。問題を解けたことへの感謝や学問成就の祈願に加え、自分の研究成果を人々に伝える役割もありました。

現代の感覚では、数学の問題を神社に掲げることを意外に感じるかもしれません。しかし、算額には、学んだ成果を残し、ほかの人にも問題を考えてもらうという楽しみがあったのでしょう。

ドラマでいろはが、絵馬の設問は皆に向けられたものだと語る場面も、この文化を知ると理解しやすくなります。

金王八幡宮には幕末の算額が3面残っている

渋谷区の区指定文化財の案内で紹介されている金王八幡宮の算額は、次の3面です。

奉納年 西暦
嘉永3年 1850年
安政6年 1859年
元治元年 1864年

元治元年に奉納された算額は、珍しい扇形をしています。金王八幡宮には、江戸時代の人々が数学に取り組んだ証しが今も残されているのです。

算学絵馬は、物語のためだけに作られた文化ではありません。実際の算額が伝わる神社を舞台にすることで、いろはが親しんでいた算学と、私たちが暮らす現代とのつながりを感じられます。

実際に残っている算学絵馬は関孝和のもの?

金王八幡宮で文化財として確認できる3面の算額は、関孝和本人のものではありません。

関孝和が亡くなったのは1708年です。一方、現存する3面の奉納年は1850年・1859年・1864年で、いずれも関の没後にあたります。

渋谷区の資料でも、それぞれ別の奉納者の名前が記されています。

したがって、算額が実際に伝わっていることと、劇中でいろはが見つけた関の絵馬が現存することは、分けて考える必要があります。

今回確認した公式資料では、ドラマに登場するような関孝和本人の算額が、金王八幡宮に現存することは確認できませんでした。

実際に残る算額の歴史を知ったうえで、劇中の絵馬はいろはと関をつなぐものとして見ると、この場面をより深く楽しめるでしょう。

関孝和も実在する?「算聖」と呼ばれた江戸時代の和算家

大森元貴が演じる関孝和は実在した人物

算学絵馬だけでなく、大森元貴さんが演じる関孝和も、江戸時代に実在した人物です。

TBSも関孝和について、実在した和算家の武士として紹介しています。ドラマの関先生は、歴史上の関孝和をもとに描かれた登場人物なのです。

和算とは、西洋数学が広く取り入れられる以前に、日本で独自に発達した数学のこと。関孝和は、その発展に大きな役割を果たし、後に「算聖」とも呼ばれました。

第3話の公式あらすじにも、生琉から関が現代では「算聖」と呼ばれていると聞き、いろはが思いをはせる展開が記されています。

身近に学んでいた先生が、未来では歴史に名を残す人物になっていることも、本作ならではの面白さです。

実際の関孝和は、勘定の仕事をしながら数学を研究した

国立国会図書館の「江戸の数学」によると、関孝和は生涯の大半を甲府藩主の徳川家に仕え、勘定を専門とする役人として働いていました。晩年には幕臣となり、1708年に亡くなっています。

数学の研究では、数字と文字を組み合わせて式を表す方法を発展させ、複数の未知数を含む問題を扱いやすくするなどの功績を残しました。

また、関の研究は弟子たちにも受け継がれています。『括要算法』は没後に刊行され、門人たちがその成果を後世へ伝えました。

こうした経歴を知ると、ドラマで算学を教える関先生の姿にも、歴史上の和算家としての背景を感じられます。

ただし、いろはへの言葉や二人の約束は、実在人物の経歴とは分けて、ドラマの物語として受け止めたい部分です。

歴史上の偉人も、いろはにとっては会いたい関先生

歴史の中の関孝和は、数学の発展に貢献した偉大な人物です。しかし、いろはにとっては、遠い歴史上の人物ではなく、自分が直接学び、思いを寄せる関先生です。

筆者は、この距離の違いが、いろはの気持ちを印象深くしていると考えます。

生琉にとっては、すでに歴史になっている人物。いろはにとっては、同じ時代を生き、もう一度会いたいと願う相手。

その違いが、神社での会話にも表れているのでしょう。

いろはが求めているのは、有名な数学者の足跡を確かめることだけではありません。自分が知っている関先生とのつながりを、現代でも感じたいのだと思います。

二人の関係の出発点については、第1話で登場した関先生の手習い所のロケ地と、いろはの学びへの思いを考察した記事でも取り上げています。

いろはにとって関の絵馬は、江戸とのつながりを感じられるもの

嬉しさの後にこぼれた「私がいる世界じゃない」

関の絵馬を見つけたいろはは嬉しそうにしますが、現代については「いい世の中だけど私がいる世界じゃない」と語ります。

筆者は、この言葉には、便利さや暮らしやすさだけでは埋められない寂しさが表れていると考えます。

いろはには、江戸で積み重ねてきた生活や人間関係があります。現代で新しい経験ができても、それだけで、自分が生きてきた世界を手放せるわけではありません。

関の絵馬を見つけたことは嬉しい出来事です。同時に、残されたものには触れられても、その人には会えないという距離を、改めて感じる時間にもなったのかもしれません。

「同じ空の下に関様がいた」ににじむ控えめな願い

いろはは、関が自分のような飛脚の娘を覚えているとは限らず、絵馬も皆に向けた設問なのだと語ります。

その一方で、「同じ空の下に関様がいた。それだけで十分なんだよ」と口にしました。

この言葉から感じられるのは、関に思われている確証がなくても、その人の存在を感じられるだけで嬉しいという気持ちです。

自分だけに向けられたものだと期待しすぎないようにしながらも、関が残した絵馬を大切に受け止めている。その控えめな言い方に、かえって思いの深さがにじみます。

いろはにとって絵馬は、算学の問題が書かれた額であると同時に、会いたい人とのつながりを感じさせるものだったのでしょう。

生琉はなぜいろはを置いて帰った?関への思いを知った寂しさ

そばで支える自分よりも、関を思ういろは

いろはの言葉を受け、生琉は「関様がいないからですか?」と問いかけます。

その後、忙しさや世話をする負担を口にし、いろはを神社に残して帰ってしまいました。

筆者は、この態度には、関への嫉妬に加え、そばで支えている自分の存在が、いろはにどれほど届いているのか分からない寂しさもあると考えます。

現代で一緒に過ごしているのは生琉です。しかし、いろはが嬉しそうに語り、会いたいと思い続ける相手は関。

その違いを感じ、気持ちをうまく言葉にできなくなったのではないでしょうか。

忙しさを口にしたのは、本心を隠すためだったのか

生琉の言葉だけを取り出せば、いろはの世話に疲れたようにも聞こえます。

ただ、関への思いを聞いた直後に感情が強く表れているため、単に忙しかっただけとは受け取りにくい場面です。

本当は、自分と過ごす時間や現代での暮らしにも意味を感じてほしい。その思いを素直に伝えられず、突き放す言い方になってしまった可能性があります。

一方のいろはも、生琉を傷つけようとして江戸への思いを語ったわけではないでしょう。

帰りたい世界を持ついろはと、今ここにいる自分を見てほしい生琉。それぞれが抱える気持ちを伝えきれなかったことが、金王八幡宮でのすれ違いにつながったと考えられます。

金王八幡宮で算額を見たいときの注意点

金王八幡宮に算額が伝わっていることは確認できますが、訪問日に必ず見学できるとは限りません。

今回確認した公式ページでは、算額の現在の展示状況や見学時間までは確認できませんでした。算額の見学が目的なら、訪問前に社務所へ公開状況を問い合わせておくと安心です。

公式サイトに掲載された社務所の電話番号は03-3407-1811、受付時間は9時~17時です。この受付時間は、算額の見学可能時間を示したものではありません。

また、劇中の資料館内の撮影場所は、今回の調査では確認できていません。ドラマと同じ展示や配置が見られることを前提にせず、現地の案内に従って参拝や見学を楽しみましょう。

所在地やアクセスは、金王八幡宮の公式案内で確認できます。

『いろはの恋は時代をかける』第4話ロケ地・考察まとめ

第4話でいろはが訪れた金王八幡宮には、実際に算学絵馬「算額」が伝わっています。ただし、文化財として確認できる3面は幕末に奉納されたもので、関孝和本人の算額ではありません。

一方、大森元貴さんが演じる関孝和は、江戸時代に実在した和算家です。後世に「算聖」と呼ばれる人物を、いろはにとって身近な先生として描くことで、時代を越えた思いがより切なく伝わります。

関の絵馬を喜ぶいろはと、その姿に寂しさを感じる生琉。金王八幡宮は、江戸と現代をつなぐ場所であると同時に、二人の気持ちの違いが表れた場所でもありました。

この記事のまとめ

  • 第4話でいろはが訪れた金王八幡宮は、渋谷駅C1出口から徒歩5分
  • 金王八幡宮には、1850年・1859年・1864年に奉納された3面の算額が伝わる
  • 現存する3面は関孝和の没後に奉納されたもので、本人の算額ではない
  • 関孝和は江戸時代に実在した和算家で、後に「算聖」と呼ばれた人物
  • 劇中の絵馬は、いろはにとって関や江戸とのつながりを感じられるものと考えられる
  • 生琉の態度には、関への嫉妬と、自分の思いが届かない寂しさがにじむ
  • 算額の見学を希望する場合は、訪問前に公開状況を社務所へ確認したい

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