NHKドラマ10「舟を編む」第1話ネタバレ感想|「なんて」に込められた意味とは?原作・映画・アニメとの違いも解説

2025年夏ドラマ
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2025年6月17日よりNHKドラマ10枠で放送が始まった『舟を編む~私、辞書つくります~』は、辞書編集という静かで地道な仕事を通じて、人と人、そして言葉との関係を描いた感動のヒューマンドラマです。

本記事では、第1話のあらすじを振り返るとともに、主人公・岸辺みどりが頻繁に使う「なんて」という言葉に込められた意味、そしてそれが彼女の人間関係や成長にどう影響したのかを深掘りしていきます。

また、原作小説、映画、アニメ版との違いを比較しながら、2025年版ドラマが伝えようとしている新たな視点や現代性についても徹底的に解説します。

この記事を読むとわかること

  • NHKドラマ10「舟を編む」第1話のあらすじと重要シーン
  • 主人公・岸辺みどりが使う「なんて」の意味と変化
  • 原作・映画・アニメとの違いや本作の独自性

『舟を編む』基本情報とメディア展開の違い

『舟を編む』(ふねをあむ)は、作家・三浦しをんによる小説で、辞書編纂に関わる人々を描いた作品です。

静かで地味に思われがちな辞書作りという仕事に、熱量と人間ドラマを宿した本作は、言葉をテーマにした異色の感動作として、多くの読者・視聴者の心をつかんできました。

2012年には本屋大賞を受賞し、その後、映画、アニメ、ドラマへと展開されています。

小説(原作)

  • 著者:三浦しをん
  • 連載:『CLASSY.』(2009年11月号~2011年7月号)
  • 単行本:2011年9月16日 光文社より刊行
  • 受賞:2012年 第9回本屋大賞

あらすじ概要

辞書『大渡海(だいとかい)』の編纂に人生を捧げる馬締光也を中心に、言葉と向き合う編集者たちの情熱が描かれます。

緻密で根気の要る作業を通じて育まれる信頼や葛藤、そして言葉が持つ力が、人と人との絆をつなぐ“舟”となって表現されています。

メディア展開の比較

媒体 公開/放送 主な登場人物 主な特徴
映画版 2013年 馬締光也(松田龍平)、西岡正志(オダギリジョー) 馬締を主軸に据えた感動ドラマ。視覚的な演出とテンポの良さで映像美を魅せた。
アニメ版 2016年(フジテレビ「ノイタミナ」枠) 馬締光也(櫻井孝宏)、林香具矢(坂本真綾) 原作に忠実でありながら、キャラクターの心情を丁寧に描写。音楽と演出に温かみ。
ドラマ版
(ドラマ10)
2024年NHK BS/2025年ドラマ10枠で再放送 岸辺みどり(池田エライザ)、馬締光也(野田洋次郎) 女性視点での再構築。新キャラクター・岸辺みどりを主人公に、現代的な言葉の価値とジェンダー観も盛り込む。

NHKドラマ版の特徴

今回のドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』では、主人公が馬締ではなく新キャラクターの岸辺みどりに変わったことで、物語の視点が大きく転換されています。

ファッション誌から辞書編集部へ異動された女性編集者が、言葉と向き合う中で成長していく様子は、現代の働く女性のリアルな葛藤も色濃く描かれています。

また、「なんて」や「右」など、日常語に潜む感情の揺らぎに焦点をあて、辞書づくりの“哲学”を、感覚と言葉の関係性から照らし出しているのが印象的です。

馬締の存在は後方に置かれながらも、彼の辞書観や言葉への愛情はしっかりと引き継がれ、作品としての一貫性も保たれています。

原作の核心は「言葉とは誰かに思いを届けるための舟である」という思想にあります。

その本質を、各メディアはそれぞれの方法で表現しています。

映画は静かで力強い人間ドラマ、アニメは温かく繊細な心情描写、ドラマは現代的かつ多角的な言葉の視点

どの『舟を編む』も、言葉と真摯に向き合う姿勢を私たちに再確認させてくれる作品となっています。

「舟を編む」第1話 あらすじ

ファッション誌から辞書編集部への異動

岸辺みどり(池田エライザ)は、ファッション誌「VIVIAN」の編集部で働いていた。

読者モデル出身だった彼女は、編集長の渡瀬凛子(伊藤歩)に言葉のセンスを見込まれて編集者に抜擢された経歴を持つ。

たとえば、雑誌のキャプションで「大人可愛いくすみピンク」と書くところを、岸辺は「ピンクでもグレーでもない気持ちの日のために」と表現し、その感性を高く評価されていた。

編集の仕事にやりがいを感じ始めていた岸辺だったが、紙媒体離れの影響で「VIVIAN」は廃刊が決定。

Web部門への移行に際し、彼女には「辞書編集部」への異動が命じられる。

渡瀬は「大抜擢」と称するが、岸辺にとってはあまりに突飛な人事であり、困惑を隠せなかった。

『大渡海』と小さな編集部の現実

異動先の辞書編集部は、13年間制作が続けられている中型辞書『大渡海(だいとかい)』を担当する部署だった。

部署には、主任の馬締光也(野田洋次郎)のほか、契約社員の佐々木薫、学生アルバイトの天童充のみ。

さらに外部スタッフとして、社外編集者の荒木公平と日本語学者の松本朋佑が関わっている。

岸辺はそもそも辞書に全く興味がなく、やる気をすっかり失ってしまう

そんな中、馬締は岸辺に対して「辞書作りに向いている」と期待を寄せるが、

天童は馬締の情熱が新入りにとっては重荷になると感じ、陰で舌打ちを繰り返していた。

岸辺はその態度を誤解し、さらに居心地の悪さを募らせていく。

人間関係の摩擦と自己不信

岸辺は、過去から現在にかけて人間関係のトラブルに悩まされていた。

同僚たちと食事に行く約束をしていたのに、自分だけが除け者にされていたことを目撃し、

また、同棲中の恋人・中村昇平(鈴木伸之)との間でも、言葉の行き違いから衝突する。

中村から「自分の夢までバカにしないでほしい」と怒りをぶつけられた岸辺は、

何が問題なのか理解できず、戸惑うばかりだった。

辞書編集者たちとの初対面と歓迎会の一幕

岸辺の歓迎会が開かれるが、場に馴染もうとした彼女の「自分には向いていない」という発言が、

天童の怒りを買い、「辞書作りをバカにするな!」と強く批判されてしまう。

その場の空気は一気に険悪になり、天童が退席。佐々木と荒木もそれを追う。

取り残された岸辺に対して、松本は雰囲気を和らげ、「悪いのは言葉ではなく、言葉の選び方や使い方」だと説く。

そして『大渡海』について、「言葉の海を渡る舟」だと語り、辞書の本質を伝える。

右矢印の一言が開いた評価と可能性

辞書作りについて理解を深める中で、馬締が「右って何?」と岸辺に尋ねる。

岸辺は即座に「→」と答え、場が一瞬静まり返る。

しかしその答えは、柔軟な発想として松本に高く評価され、馬締も「辞書作りに向いている」と再認識する。

また馬締は、岸辺の名前を見たときに「岸辺に立って碧い海を見つめる女性」を思い浮かべたと明かし、

「一緒に舟を編みたい」と心から伝える。

「なんて」の意味と初めての気づき

自宅に戻った岸辺は、「なんて」という言葉を辞書で引いてみる。

そこにあったのは、自分が無意識のうちに使っていたその言葉が、

人を軽んじるニュアンスを含んでいたという気づきだった。

ちょうどその頃、中村から電話が入り、岸辺は懸命に謝ろうとするが、

中村は「距離を置きたい」と静かに伝え、感謝の言葉を残して通話を終える。

朝日と涙の中で見つけた「自分だけの右」

岸辺は中村が行きそうな海へ向かうが、彼の姿はなかった。

朝日が昇るなか、涙が頬を伝う。ふと吹いた風により、右頬の涙が先に乾いたことに気づく。

その体験を通じて、岸辺は「右」をこう表現する。

朝日を見ながら泣いた時、あったかい風に吹かれて、先に涙が乾いたほっぺた。

その後、馬締は感嘆の声でこうつぶやく。

なんて素敵な“右”なんだ。

かつて周囲を傷つけた「なんて」という言葉が、今は感動を表す言葉へと変わった瞬間だった。

佐々木や天童もその場面を温かく見守り、岸辺は初めて、辞書づくりの意味を自分の言葉で掴んだのだった。

「なんて」という言葉の重みと向き合う

ドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』第1話で繰り返し登場するキーワードが「なんて」です。

この言葉は、主人公・岸辺みどりが無意識に使っていた表現でありながら、人間関係の断絶や誤解の引き金にもなっていました。

ここでは「なんて」の具体的な使用例や辞書的意味、その言葉がもたらす感情的影響、そして最終的に岸辺が気づいた“言葉の責任”について深掘りしていきます。

「なんて」がもたらす軽視のニュアンス

「なんて」は日常的に使われる言葉ですが、辞書では次のように定義されています。

  • 副助詞:次に来る動作・内容を軽視・無視する気持ちで例示する
  • 副詞:同格の語を修飾し、軽んじる意味を含む

つまり、「なんて」は無意識のうちに相手の大切にしているものを軽く扱ってしまう危険を孕んでいます。

作中でも、みどりが無自覚にこの言葉を使い、人間関係にひびを入れていく場面が多く描かれました。

印象的なセリフに見る「なんて」の使われ方

以下は、みどりが劇中で口にした「なんて」を含む代表的なセリフです。

  • 「辞書なんて、どれも同じだと思っていたんです」
  • 「ああ、ごめん。ご飯食べてる時間なんて、ないかも」
  • 「ほんと助かる。朝から電話する余裕なんてないからさぁ」
  • 「また朝日…綺麗だけどさ…朝日なんてさ、結構みんな撮ってんじゃん」

特に恋人・中村とのやり取りでは、この言葉が彼の夢や感性を否定するように響いてしまいます。

「してないって、馬鹿になんて」――と否定しても、相手にとっては「してるよっ!」と怒りの感情に繋がってしまう。

辞書編集部での対立と自覚の芽生え

歓迎会の場で、岸辺が「辞書なんて持ってないし、欲しいとも思ったことない」と語った時、

バイトの天童が怒りを爆発させ、「この人たちの前で辞書を馬鹿にするな!」と叫び、

岸辺が意図せず人を傷つけていたことがはっきりと描かれました。

その後、松本と馬締が語りかけます。

「悪いのは言葉じゃありません。選び方と使い方です。」
「“なんて”を辞書で引いてみてください。辞書はあなたを責めません。安心して開いてください。」

このアドバイスをきっかけに、岸辺は初めて「なんて」という自分の言葉を辞書で調べ、自分の無意識な暴力性に気づくのです。

再生される「なんて」――感動を表す言葉へ

最終場面、岸辺が朝日を見つめながら「右とは、風で先に涙が乾いたほっぺた」と語った時、

馬締はこう返します。

なんて素敵な“右”でしょう」

かつては人を傷つけた「なんて」という言葉が、感動を伝える言葉として生まれ変わる瞬間です。

ここに至るまでの過程こそが、みどりにとって“言葉の舟”に乗り込む決意の始まりであり、辞書作りの本質を体感した証でもあります。

「舟を編む」第1話 考察と感想

ドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』第1話は、辞書という一見地味な世界を通じて、言葉と真摯に向き合う人々の姿を丁寧に描いています。

主人公・岸辺みどりの視点から始まる物語は、言葉をただの道具ではなく、「人と人をつなぐ舟」として捉える哲学を持ち込み、視聴者に多くの気づきを与えてくれます。

以下では、言葉に込められたテーマや、辞書作りの意義、そして映像表現の魅力について考察します。

●辞書作りという営みの尊さ

『舟を編む』は、辞書を単なる“言葉の集積”としてではなく、「言葉の海を渡るための舟」として描いています。

馬締が語るこの比喩は、辞書編纂という作業が、精密な航海図を描くような知的労働であることを視覚化しています。

言葉を一つひとつ見直し、定義し、伝わる形に仕上げていく作業は、現代のようにスピード重視の時代にこそ、言葉の真価を見つめ直す行為として輝いて見えました。

●柔軟な感性が開く言葉の可能性

辞書作りという正確性が求められる現場にあって、岸辺がとっさに「→」と答えた「右」の定義は、

単なる誤答ではなく、言葉の本質に迫る感性の表現として評価されました。

辞書の定義は硬直したものではなく、人の感覚や生き方とも共鳴しうるものなのだという気づきを与えます。

また、「右はどちらか?」という問いに対し、「涙が先に乾いたほう」と答える岸辺の表現には、

記憶や感情を重ねた言葉がいかに豊かで、深い意味を帯びるかが表れていました。

●映像表現が引き出す言葉の感情

本作では、原作や映画とは異なり、岸辺みどりの視点に重きを置いた構成となっています。

辞書という題材を、映像的に“地味”に見せず、光や風、涙など感覚的な要素とともに描写することで、

言葉が“生きている”ことを視覚的に訴えてきます。

岸辺が辞書編集部に馴染めずに悩む姿や、感情が噴き出す場面にこそ、言葉の不完全さと力強さが表れています。

そして何より、編集者たちの一言一句に込められた真摯さが、視聴者に「言葉を丁寧に使おう」と思わせてくれる作品でした。

●人との関係を言葉で築くということ

辞書は、単なる語彙集ではなく、誰かに何かを伝えたいという欲求の積み重ねです。

岸辺が少しずつその本質に気づき始める過程は、視聴者自身の「日常での言葉の使い方」を見直す契機になります。

言葉は、誰かを傷つけもすれば、救いもします。

だからこそ、辞書を作る人々が言葉に命を吹き込むように、

私たちもまた、一つひとつの言葉に対して敬意を持つべきなのだと、ドラマは静かに語りかけているように思えました。

『舟を編む~私、辞書つくります~』まとめ

『舟を編む~私、辞書つくります~』は、言葉という目に見えない存在と正面から向き合い、人と人をつなぐ手段としての「辞書作り」の本質を丁寧に描いた作品です。

第1話では、主人公・岸辺みどりがファッション誌から全く畑違いの辞書編集部へ異動し、初めは戸惑いながらも自らの言葉の癖と向き合い、周囲との関係性を見つめ直す姿が印象的に描かれました。

特に「右」や「なんて」といった日常語に込められた意味や感情の機微を掘り下げる描写は、辞書の定義を超えた“生きた言葉”の重みを感じさせてくれます。

原作や過去の映像作品と比べても、今回のドラマ版は女性主人公という新たな視点から「言葉と人間の関係」を描き出し、より現代的で共感性の高い仕上がりになっていました。

地味に思われがちな辞書編集という仕事の中に潜む熱意や葛藤を、映像・セリフ・空気感すべてを通じて表現した本作は、「言葉とは何か」を改めて考えさせてくれる貴重なドラマです。

これから物語が進む中で、岸辺がどのように舟を編み、自分自身の言葉を紡いでいくのか——

その成長と変化を、言葉を愛するすべての人にぜひ見届けてほしいと感じました。

この記事のまとめ

  • 岸辺みどりが辞書編集部へ異動し戸惑う姿を描写
  • 「なんて」という口癖が人間関係に影響を与える
  • 辞書は“舟”であり、言葉の海を渡る象徴として描かれる
  • 「右」の定義を通して言葉と感性の関係を表現
  • 辞書編集の現場が人間ドラマとしてリアルに映し出される
  • 原作・映画・アニメと異なる視点で再構築された物語
  • 2025年NHKドラマ版ならではの現代的テーマと共感性

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