フジテレビ月10ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(通称:もしがく)第10話が放送され、SNSやコメント欄では驚きと興奮の声が多数上がりました。
本記事では、第10話のあらすじから、おばばの予言「男から生まれた男に気をつけろ」の伏線回収、さらに最終回を前に注目を集める蓬莱=裏切り者説の考察まで、徹底的に解説していきます。
- 『もしがく』第10話のあらすじと展開の流れ
- おばばの予言「男から生まれた男」の伏線とその意味
- 最終回で予想される裏切りと物語の行方
久部の覚醒と揺れる劇場――第10話のあらすじを解説
トニーのテープで劇場存続の危機がひとまず回避
WS劇場の資金難に直面する中、トニー(市原隼人)が持ち込んだ音声テープが突破口となります。
この証拠をもとに、劇場オーナーのジェシー才賀に支払う予定だった120万円が、週13万円の分割払いに変更され、久部三成(菅田将暉)は安堵の表情を浮かべます。
演出家としても成長を見せていた久部は、尊敬するカリスマ演出家・蜷川幸雄(小栗旬)からも賞賛を受け、舞台人としての覚悟を新たにします。
支配人夫妻の不正と劇場内の大きな転換
倖田リカ(二階堂ふみ)の「支配人になればいい」という後押しもあり、久部はWS劇場を自分の手で立て直す決意を固めます。
その矢先、大瀬六郎(戸塚純貴)が毛脛モネ(秋元才加)にプロポーズするも、一度は断られてしまいます。
しかし舞台上での再プロポーズに踏み切り、観客の前で改めて想いを伝える姿が会場を温かく包みます。
一方、舞台終演後、観客として来ていた是尾礼三郎(浅野和之)が「シェイクスピアへの冒涜だ」と激怒し、久部たちの演出に一石を投じます。
打ち上げと新体制への動き
舞台の打ち上げでは、大瀬がモネとの交際を公言し、劇場内は祝いムードに包まれます。
しかし、リカは久部に「スタッフはプロでなければ」と釘を刺し、視線の先には江頭樹里(浜辺美波)の姿が。
「演出助手になりたい」という樹里に対し、リカは即座に「やめなさい」と告げ、劇場運営における線引きの厳しさが浮き彫りになります。
不正を暴く久部、そして“疫病神”と呼ばれて
リカに促される形で、久部は支配人室を訪れます。
帳簿と金庫の開示を求めると、そこにいたフレ(長野里美)が身につけていた翡翠のブローチに疑念を抱きます。
フレは「翡翠はオーナーにもらった」と言い訳をすると、その場にやってきたジェシーオーナーが「それはどこのオーナーの話?」と話し、フレの不正が確定。
支配人の大門(野添義弘)は土下座して謝罪し、リカの冷ややかな仕草により、劇場内の“粛清”が静かに下されます。
フレは久部に掴みかかり「疫病神!」と叫び、正義を貫いた久部が人間の恨みも引き受けるシーンが展開されます。
舞台への別れと新しい幕開け
大門は劇場を去る際、「この場所が好きだった」「疫病神のお前に賭けた。悔いはない」と淡々と語ります。
久部は「必ずこの場所を客でいっぱいにします」と約束し、シェイクスピアの言葉を織り交ぜて、“この世が舞台”というテーマを強く印象づける場面が続きます。
おばばの予言と、リカとの関係の変化
久部は再び案内所を訪れ、おばば(菊地凛子)から「男から生まれた男に気をつけろ。お前の足を引っ張るのは男から生まれた男だ」という意味深な忠告を受けます。
笑って受け流す久部ですが、これは最終回へと続く重要な伏線として提示されます。
劇場に戻った久部をリカが迎え、「目指すは紀伊國屋ホール。ついてきてくれるか?」と語りかけ、「私を連れてって、ここ以外のどこかへ」と熱を帯びた想いを告白し、キスを交わします。
演劇論と“未完成な久部”の描写
一方、蓬莱省吾(神木隆之介)は伴工作(野間口徹)や風呂須太郎(小林薫)とともに演劇について語り合います。
蓬莱が「ノイズの意味がわからない」と語ると、風呂須は「蜷川がよく使った演出概念」と説明し、演劇の奥深さが語られます。
伴は久部について「人の影響を受けやすく、自分の演劇を見つけていない」と指摘し、久部の未熟さと可能性を同時に突きつけます。
“支配人”となった久部、そして新たなハムレットへ
舞台稽古の場「ジョンジョン」では、『ハムレット』の主役にトロ(生田斗真)が選ばれており、久部が拍手をして中に入ります。
「ハムレットか、10年早いんじゃないか」と皮肉めいた言葉をかける久部。「僕は劇場を持った。支配人だ。みんなで見に来なさい」と堂々と宣言。
「こっちだって最高のハムレットを見せてやる」と言い放って、二つの舞台が激突する予感を残したまま、物語は幕を下ろします。
おばばの予言「男から生まれた男に気をつけろ」が意味する最終回の行方

「おとこ」という名前が導く、不穏な伏線
第10話の終盤、久部が案内所を訪れると、おばば(菊地凛子)は彼に意味深な忠告を与えます。
「男から生まれた男に気をつけろ。お前の足を引っ張るのは、“男から生まれたお・と・こ”」というその言葉は、一見すると謎めいた予言ですが、物語のラストでその意味が突然つながることになります。
蓬莱省吾(神木隆之介)が江頭樹里に語った自身の母の名前は「乙子(おとこ)」。
「僕は“おとこ”から生まれてきたんです」という台詞によって、予言の“おとこ”=蓬莱である可能性が浮上し、SNSを中心に視聴者の間で大きな波紋が広がりました。
蓬莱は本当に久部の“敵”となるのか?
蓬莱というキャラクターは、三谷幸喜の若き日をモデルにした設定がなされており、これまではどちらかといえば“観察者”ポジションとして描かれてきました。
しかし第10話以降、彼が物語の中で“創造者”として台頭し始める兆しが見え始めています。
彼は演出助手として久部に従っている立場ですが、おばばの予言によって「久部の足を引っ張る存在」=「蓬莱が裏切る」可能性が強調されている点は見逃せません。
実際に、蓬莱が演劇理論を語る中で久部に対して距離を感じさせる描写もあり、「久部はまだ自分の演劇を見つけていない」という話からも、彼の評価が揺らいでいることがうかがえます。
蓬莱の台頭が意味する“主役交代”の可能性
このドラマは“舞台”をモチーフにした作品であり、常に「誰が舞台に立つのか=誰が主役なのか」が問い直されてきました。
蓬莱の母・乙子の名前を通じて彼が“おとこ”であることが明示された今、久部に代わる“新しい主役”の登場を示唆している可能性があります。
しかも、彼の母が経営するのは中野の喫茶店。
劇場とは異なる現実的な場で育った蓬莱が、舞台に夢を見続ける久部とは違う立場から、劇場や演劇に対するアプローチを持ち込む構図は、物語を根本から揺るがしかねません。
視聴者の反応:「まさか蓬莱がラスボス!?」
ネット上では第10話放送後、予言の“おとこ”が蓬莱であるという展開に対して大きな反響が寄せられました。
「神木くんがラスボスなの?」「名前で伏線回収とか天才すぎ」「まさか身近な人が敵になるとは」など、驚きと称賛が入り混じったコメントが相次いでいます。
これまで久部と比較的良好な関係を築いてきた蓬莱が、“予言通りの存在”として久部の進路を阻む立場に転じるのか、それとも予言を超える別の意味を持つのか――。
最終回を前にして、視聴者の注目は完全にこの2人の関係性に集中しています。
予言が導くのは裏切りか、それとも試練か
おばばの言葉が直接的な裏切りを意味しているのか、それとも久部が舞台人として“超えねばならない壁”としての象徴なのかはまだ明らかではありません。
しかし少なくとも言えるのは、“男から生まれた男”が久部の物語の中で重要なキーパーソンになるということ。
舞台の世界で何を選び、何を手放すか――久部が演劇とどう向き合うかを問う最終局面において、蓬莱の存在は不可避のものとなりつつあります。
この“予言”は、単なる言葉遊びを超えた、物語全体をひっくり返す劇的な仕掛けと言えるでしょう。
第10話の感想|伏線の回収と人間関係の“重さ”が際立った回

予想外の伏線回収に、視聴者の興奮がピークに
第10話のラスト、蓬莱省吾の「母の名前は乙子(おとこ)」という台詞が流れた瞬間、私自身も思わず「そう来たか!」と声を上げてしまいました。
「男から生まれた男に気をつけろ」というおばばの予言が、ただの謎かけではなく、きっちり伏線として“名前”で回収された演出は、さすが三谷作品というべき巧妙さでした。
Yahoo!コメント欄でも「名前で伏線回収とか天才すぎ」「ラスボスは蓬莱!?」といった声が続出しており、SNS上の熱量も明らかに高まっています。
人間関係のリアルさと“後味の重さ”が印象的
一方で、このドラマの根底に流れる「人間の未熟さ」「夢と現実の狭間」は、視聴者によって賛否が分かれる部分でもあります。
支配人夫妻とのやり取りや、「疫病神」と吐き捨てられる久部の姿には、人間の感情の醜さがリアルに描かれており、舞台の華やかさとは対照的な“楽屋”の空気感が強烈に残りました。
中には「毎回ずっしり重くて、見るのがしんどい」と感じる人もいるようで、あるコメントでは「王様のレストランのような軽快さが欲しかった」という声も見られました。
好きな人のために走る久部とリカの関係に対する違和感
リカと久部のキスシーン、そして「私を連れてって、ここ以外のどこかへ」というセリフは、恋愛的にもクライマックスのように見えましたが、この二人の関係には依然として“何か引っかかるもの”があるというのが率直な感想です。
リカが久部を利用しているように見えるという意見もあり、また逆に「久部が彼女に盲目すぎて心配」といった声も多く見受けられました。
物語が“夢を叶える人間ドラマ”というより、“誰が信頼できるかを探る群像劇”として動いているからこそ、ラブロマンスの甘さよりも、疑念が強く残る構成なのかもしれません。
視聴者の心を揺さぶる“セミファイナル”の妙
蓬莱の言葉、蜷川の言葉、そして伴の「久部は自分の演劇を見つけていない」発言――。
この第10話には、多くのキャラクターが久部を語り、彼の成長を促す“圧力”がいくつも仕掛けられていたように感じました。
最終回を目前に控え、誰が味方で誰が敵なのか、そして久部自身がどんな舞台を選ぶのか。
その選択を視聴者にじっくり問いかけてくる、まさに“セミファイナル”にふさわしい重厚な回だったと思います。
最終回(第11話)あらすじと見どころ|主役交代と崩れゆく“夢の劇場”

久部が手に入れた“劇場”に忍び寄る崩壊の予兆
最終回は、久部三成(菅田将暉)がついにWS劇場の“支配人”としての立場を手に入れた状態から始まります。
浅野夫妻の追放も終わり、倖田リカ(二階堂ふみ)との関係も円満、まさに「一国一城の主となる」というおばばの予言が現実のものとなったかに見えます。
しかしその一方で、おばばが育てていた久部からの植木が枯れていることに気づき、「運気が下がっておる」と不吉な予兆を呟くという一幕が挿入され、不穏な空気が漂い始めます。
“ハムレット”の舞台で浮き彫りになる主役の危機
WS劇場では演目が「冬物語」からシェイクスピアの「ハムレット」へと変わり、主役・ハムレット役には久部が抜擢されます。
しかし、舞台上でひときわ観客の支持を集めたのは、大瀬六郎(戸塚純貴)が演じるレアティーズでした。
2人の対立シーンでは、久部の熱演をよそに、観客の拍手は大瀬に集中し、久部は“主役”としての自信を失いかけてしまいます。
これは単なる舞台内の現象にとどまらず、「誰が本当に主役なのか?」という物語全体の主題にもリンクしており、象徴的な描写として機能しています。
崩れるリカの心、揺れる久部の立場
舞台裏では、ヒロイン・オフィーリア役を演じるリカが突如として自信を失い、楽屋から姿を消してしまうという事態が発生します。
久部は懸命にリカを支えようとしますが、状況は思うように進みません。
華やかだったWS劇場のスタンド花や順調に思えた公演の裏で、少しずつ崩れていく人間関係と“夢の劇場”。
これまで順調に見えていた久部の道のりが、最終回で試されることになるのは間違いありません。
“舞台”の行方と、“楽屋”に帰る者たち
タイトルに込められた「楽屋はどこにあるのか?」という問い。
それは、演劇という夢の場=舞台を降りたあとの人生=楽屋を意味するのかもしれません。
最終回では、誰が舞台に立ち続け、誰が裏方に戻り、あるいは新たな道を選ぶのかが明らかになるはずです。
久部、リカ、蓬莱、そしてWS劇場に集う仲間たちの“人生の演目”がどう終幕を迎えるのか。
観客である私たちにも、大きな問いを投げかけてくるフィナーレになるでしょう。
- 久部が劇場の支配権を握る転機の第10話
- 「おとこ」の名による伏線回収が話題に
- 蓬莱=裏切り者説が急浮上しSNS騒然
- 人間関係の緊張が高まり、舞台は揺れる
- 最終回で主役交代はあるのか注目が集まる

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