2025年秋ドラマの中でも注目を集める三谷幸喜脚本のフジテレビ系ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(通称:もしがく)。
第5話では、ついにクベシアターによる『夏の夜の夢』の初日公演を迎えるも、舞台本番シーンが一切描かれないという異例の演出が話題となり、視聴者の間で賛否が分かれる展開となりました。
本記事では、第5話のあらすじを整理しつつ、「なぜ舞台を描かなかったのか?」「登場した是尾礼三郎とは何者なのか?」など、SNSでも注目を集めたポイントをネタバレ含めて考察・解説します。
- 『もしがく』第5話のあらすじと公演失敗の背景
- 舞台シーンが描かれなかった理由と演出意図の考察
- 是尾礼三郎の正体と今後の展開への影響
『もしがく』第5話のあらすじ
いよいよ初日、混乱だらけの幕開け
WS劇場では、久部三成(菅田将暉)率いるクベシアターの旗揚げ公演『夏の夜の夢』初日を迎えます。
しかし、開演前からトラブルが多発します。毛脛モネ(秋元才加)は息子・朝雄(佐藤大空)の紅白帽を買いに出かけて離脱。
ペトラ鈴木(アンミカ)はお祓いの場で自分の名前だけ呼ばれなかったことに不安を感じ、直後に肉離れを起こしてしまいます。これにより舞台の演出・セットも急遽変更されます。
さらに彗星フォルモン(西村瑞樹)が弁当の手配を巡って荒れるなど、開演前の準備は混乱を極めます。
公演強行、客入りと役者の葛藤
開場が始まると、今度はうる爺(井上順)がナーバスな様子を見せます。
久部は「あなたが降りるなら、ケントちゃんにやってもらう!」と厳しい言葉をぶつけ、うる爺は「そんなの芝居じゃない!」と反発するも、最終的には久部の「批判は覚悟の上だ!台本を持ってでも舞台に出す」という覚悟に心を動かされ、やる気を取り戻します。
観客は32人。久部は昼間に殴られたローラー族にまで声をかけ、客席を埋めようと奔走。
劇場前では謎の老人(浅野和之)がウロウロしており、劇場スタッフのフレ(長野里美)が無料で観劇させることを決めます。
終演後、敗北と動揺の連鎖
公演後、江頭樹里(浜辺美波)は涙ぐみ、放心状態で劇場を後にします。
リカ(二階堂ふみ)とモネが弁当を静かに食べる中、久部は肩を落とし沈んだ表情を見せます。
史上最低の初日だったことを受け、励ます蓬莱省吾(神木隆之介)に久部は「自由にやるのはいい。でもあれでは悪ふざけだ」と答えます。
舞台監督の伴工作(野間口徹)は翌日の通し稽古を提案しますが、久部は「どうでもいい…」と疲れ切った様子を見せます。
そこにケントちゃんが現れ、「うる爺がお詫びしたいそうです」と伝え、うる爺は「頭が真っ白になって郡上おどりを15分してしまった」と反省を語ります。
そして「素人を集めてシェイクスピアなんて無理だった、一番演劇を舐めていたのは自分だった」と肩を落とすのでした。
評価と波紋、そして新たな出会い
劇場のオフィスでは、支配人は手応えを感じていたものの、オーナーは「今日の舞台にはポエムがない」と不満を示します。
リカの“スリラー演出”もオーナーのアイデアだったことが発覚し、支配人も「とにかく客を入れなければ…」と頭を悩ませます。
久部はおばばの元を訪れ相談しますが、そこへ黒崎(小澤雄太)と毛利記者(宮澤エマ)が現れ、「久部の才能はないわけじゃないけどもう終わったわね」と辛辣な言葉を浴びせます。
意気消沈して劇場に戻った久部の前に、リカがあの劇場前にいた老人を連れて登場。
「どうしても演出家に言いたいことがある」と語るその老人は、シェイクスピアのセリフを口にしながら、正体を明かします。
彼の名は是尾礼三郎――日本を代表するシェイクスピア俳優でした。
公演シーンが描かれなかった理由とは?

舞台の成否を「演じた後の表情」で語る構造
第5話では、『夏の夜の夢』本番の舞台シーンが一切描かれていません。
その代わりに、観客が帰っていく場面や、舞台を終えた登場人物たちの沈黙、そして久部の落胆やリカたちの虚無的な振る舞いによって、「舞台は失敗だった」ことが伝えられます。
この演出手法は、あえて“舞台の中身”を見せず、余韻や行間から真実を読み取らせることを狙ったものだと考えられます。
“舞台上”ではなく“現実の人間関係”で描かれる恋愛劇
『夏の夜の夢』は男女4人による恋愛のすれ違いと混乱を描くシェイクスピアの喜劇です。
しかし『もしがく』では、この劇中劇を本番の舞台で再現するのではなく、久部・リカ・蓬莱・樹里の4人が現実の関係性の中でその構図をなぞっています。
蓬莱が樹里を想い、樹里は久部に惹かれ、久部とリカとの関係にも緊張が走るという四角関係の“下地”が、舞台裏の現実で描かれはじめています。
このように、登場人物の感情が舞台と現実の二重構造で展開されており、本番の描写をあえて省略することで、視聴者に“どちらが本当の物語か”を問いかけているようにも感じられます。
“成功の舞台”は最終回への伏線?
第5話で舞台本番を描かず、しかも失敗に終わったことだけを印象づけた点は、最終話で成功した舞台をしっかり描くという対比の伏線とも捉えられます。
「素人劇団が失敗を繰り返しながらも成長していく」という構造は、ドラマとしても物語としても王道です。
現時点ではあえて“描かない”ことで、「本当に見せたい舞台」はまだ先にあることを暗示しているのかもしれません。
舞台そのものではなく“舞台に立つ意味”が主題
リアルサウンドの記事では、「舞台を演じることではなく、演じることで変化していくことに重点がある」と記されています。
もっぱらこのドラマは、登場人物たちが「舞台劇を演じること」ではなく、「舞台劇を演じることで変化していくこと」に重点を置いているのだと示しているのだろう。
つまり、“公演の出来”はあくまで手段であり、登場人物たちが演劇を通してどう変化していくかがこの物語の本質であるということです。
その視点に立てば、舞台を見せなかったのではなく、舞台を見せずとも伝えたいことがあった、という演出意図が浮かび上がってきます。
シェイクスピア俳優・是尾礼三郎とは何者か?

謎の老人、その正体はシェイクスピア俳優
第5話の終盤、WS劇場前で謎の老人がウロウロする場面が登場します。
彼は招かれざる観客として舞台を観劇し、終演後にリカ(二階堂ふみ)に連れられて久部のもとへ。
そして演出家に「どうしても言いたいことがある」と切り出し、突然シェイクスピアのセリフを口にしながら名乗ります――その名は是尾礼三郎。
久部が敬愛する“伝説の舞台俳優”
是尾礼三郎は、久部三成(菅田将暉)にとって憧れの存在であり、日本を代表するシェイクスピア俳優。
かつて蜷川幸雄演出による名舞台に数多く出演したとされ、劇中ではその圧倒的なキャリアとオーラに久部が言葉を失うほどの衝撃を受けます。
劇場の空気すら変えるような存在感で登場した是尾は、今後の物語に大きな影響を与えることが確実視されます。
演じているのは、三谷作品常連・浅野和之
この是尾役を演じているのが、ベテラン俳優の浅野和之です。
浅野は三谷幸喜作品の常連として知られ、舞台・ドラマ・映画で数々の実績を残してきました。
特に2024年には、シェイクスピア四大悲劇の一つ『リア王』にてグロスター伯役を演じるなど、実際にシェイクスピア演劇に深く関わる俳優です。
まさに“シェイクスピア俳優を演じるにふさわしい人物”として、キャスティングに強い説得力を持っています。
救世主か?それとも試練の使者か?
是尾は、ただの観客ではなく、久部の演劇人生を左右しかねない存在です。
第6話以降、彼が舞台の何を見てどう評価するのか、久部とどう向き合うのかは物語の重要な鍵になるでしょう。
彼の存在は“救世主”のようにも、“現実を突きつける試練の象徴”のようにも見えます。
いずれにせよ、物語はここから“本当の演劇”の話へと深く踏み込んでいくことになります。
『もしがく』第5話に対する感想・SNSでの声

演出の大胆さに「さすが三谷幸喜」の声
第5話の最大の特徴は、やはり舞台本番のシーンを一切見せなかったという大胆な構成です。
SNSでは「これぞ三谷幸喜の真骨頂」という称賛の声が多数見られ、
「このゴタゴタ(伏線)がどうなるか考えただけで笑える」「立ったままてww」など、演出の細部にユーモアを見出して楽しむ声も目立ちました。
「演劇やってた人間なのでたまらん」「ここまで見てきて良かった」という声からは、コアな演劇ファン層には特に刺さっていることがうかがえます。
一方で「つまらない」「期待外れ」の声も
その一方で、舞台を描かなかったことに強い違和感や失望を示す声も少なくありません。
「やっぱつまらないなぁ」「劇中劇を期待してたのに何も見せてくれない」など、展開の唐突さや物足りなさを感じた視聴者も一定数存在しています。
特に、事前に“舞台が始まる”と盛り上げていた分、見せ場が来なかったことへのギャップが不満の声につながったようです。
ヤフコメでも評価は分かれるが興味深い分析も
ヤフーコメント欄では、「いつか劇中劇がちゃんと見られるのだろうか?」「久部が缶ビールを飲む姿が哀愁を感じた」など、細部の描写を評価する声が見られました。
一方で、「ホームレスはダンサーの父親かと思ったら違った」「やるとは思わなかったスリラー演出」など、伏線の処理や意図に疑問を呈するコメントも寄せられています。
また、「WS劇場=OS劇場のパロディでは?」といった考察もあり、視聴者がそれぞれの視点で深掘りして楽しんでいる様子が見て取れます。
“自由と演劇”を問うセリフが共感を呼ぶ
蓬莱(神木隆之介)が久部に言い放った「自由にやるのはいい。でもあれでは悪ふざけだ」というセリフは、SNSでも強い反響を呼びました。
「耳が痛い」「やりたいことだけでは成立しないのが舞台」「それでも前に進もうとするのが演劇なんだ」と、共感や自己投影するコメントも多数上がっています。
このセリフを通じて、作品が青春群像劇の枠を超え、“表現とは何か”を問いかけていると受け止める視聴者も増えてきています。
『もしがく』第6話のあらすじと見どころ

第6話のあらすじ
クベ版『夏の夜の夢』の初日公演を終えたばかりのWS劇場。
客席にいた日本を代表するシェイクスピア俳優・是尾礼三郎(浅野和之)が、演出家の久部三成(菅田将暉)に直接声をかけます。
是尾は、久部が敬愛してやまない蜷川幸雄が演出した数々の舞台に出演してきた伝説的な舞台俳優です。
「久しぶりに渋谷を歩いていたら、ここの前を通りかかりましてね」と語る是尾は、クベ版『夏の夜の夢』について一定の評価を示します。
その言葉に舞い上がった久部は、是尾を打ち上げ会場へと案内。
その場には、手にメモを持った巫女の衣装をまとった江頭樹里(浜辺美波)の姿が。
彼女に想いを寄せる蓬莱省吾(神木隆之介)は、思い切って打ち上げに誘いますが、樹里の視線は久部に一直線。
一方、打ち上げの場には、久部に対する視線が明らかに変化した倖田リカ(二階堂ふみ)の姿も。
それぞれの感情が複雑に交錯しながら、物語は新たな局面へと向かっていきます。
第6話の見どころ
まず最大の注目点は、是尾礼三郎が久部に何を語るのかです。
第5話で“失敗”した舞台を見た彼が、久部にかける言葉は、今後の劇団の方向性や、久部自身の成長に大きな影響を与えるはずです。
是尾が本物の演劇人としてどう若き演出家と向き合うのか、その対話はこの作品の核の一つとなるでしょう。
また、4人の関係性がついに動き出すのも大きな見どころです。
久部、リカ、樹里、蓬莱――それぞれの想いが交錯し、『夏の夜の夢』の四角関係とリンクするように描かれていく構図が見えてきました。
特に、リカの視線の変化や、蓬莱の複雑な表情は人間関係の微妙な揺れを如実に物語っており、ドラマとしての奥行きが増しています。
さらに、打ち上げという“舞台の外”で進行するこの回は、演劇と現実の境界が曖昧になる『もしがく』ならではの魅力が色濃く出るエピソードとなりそうです。
是尾という人物をきっかけに、物語は「演じること」の本質へと踏み込み始めます。
『もしがく』第5話まとめ
第5話では、ついに迎えたクベシアター初日公演の様子があえて描かれず、その結果は登場人物たちの振る舞いによって“失敗”として表現されました。
『夏の夜の夢』のドタバタ劇は舞台上ではなく、現実の4人の関係性によって静かに展開しており、演劇と人生の境界を溶かすような演出が際立っています。
そして、伝説的シェイクスピア俳優・是尾礼三郎の登場によって、物語は新たなフェーズへ。
視聴者の間でも賛否が分かれる中、本作が描こうとしている「演じること」の本質に期待を寄せる声も増えてきています。
第6話では、是尾と久部の対話、そしてリカ・樹里・蓬莱との関係の変化が大きな見どころ。
ここから物語は、「舞台そのもの」から「人がなぜ舞台に立つのか」へと、より深く切り込んでいくことが予想されます。
最終回で“本当の成功”を描くための準備は、すでに静かに始まっているのかもしれません。
- クベシアター初公演はトラブル続きで“失敗”に終わる
- 舞台シーンは描かれず、登場人物の反応で失敗を表現
- 『夏の夜の夢』の四角関係が現実の人間関係に投影
- ラストで登場した是尾礼三郎は伝説的シェイクスピア俳優
- 是尾の登場により久部と劇団に転機が訪れる予感
- SNSでは演出を評価する声と物足りなさを訴える声が混在
- 第6話では是尾と久部の対話、4人の関係変化が見どころ




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