『良いこと悪いこと』主題歌『アゲハ蝶』に隠された犯人の伏線とタイトルの意味を徹底考察

2025年秋ドラマ
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2025年10月11日にスタートした日本テレビ系ドラマ『良いこと悪いこと』が、初回放送から考察ファンの間で話題となっています。

本作の最大の魅力は、タイトルに込められた「二重の意味」と、主題歌として採用されたポルノグラフィティの名曲『アゲハ蝶』にあります。

一見関係のなさそうなこの2つの要素が、実は犯人の動機や伏線と密接に関わっていることをご存知でしょうか?

本記事では、『良いこと悪いこと』というタイトルの深い意味と、『アゲハ蝶』の歌詞に隠された犯人の心情や事件とのリンクについて、ドラマ第1話の展開と考察を交えながら徹底的に解説します。

この記事を読むとわかること

  • 『良いこと悪いこと』というタイトルに込められた二重の意味
  • 主題歌『アゲハ蝶』の歌詞と犯人の心情の関係性
  • 第1話に描かれた伏線から読み解く犯人像の考察

「良いこと悪いこと」のタイトルが示す二重の意味とは

ドラマ『良いこと悪いこと』というタイトルは、一見するとシンプルながら、物語の根幹に深く関わる二重の意味を持っています。

それは「良い事/悪い事」という善悪の行為の対比だけでなく、「良い子/悪い子」という子ども時代の人格評価をも含んだものと考えられます。

この二重性が、過去のいじめと現在の殺人事件をつなぐキーワードとなり、物語に強い緊張感と考察性をもたらしているのです。

「良い事/悪い事」と「良い子/悪い子」ダブルミーニング説

まず注目したいのは、タイトルにある「良いこと・悪いこと」が、子ども時代の“評価”と重なっている点です。

登場人物たちは、小学生当時に「良い子」「悪い子」として周囲にどう見られていたか、あるいは自分をどう認識していたかという意識を、今もなお引きずっています。

たとえば、主人公・高木将は「キング」と呼ばれたカリスマ的リーダーでありながら、園子に対するいじめに加担していた“悪い子”でした。

一方で、園子は“良い子”であったにもかかわらず、転校生として孤立し、閉じ込められるという被害者の立場を経験しています。

第1話で浮き彫りになる“善悪の境界線”

第1話では、22年前のいじめと、それに関連すると思われる連続殺人事件が描かれます。

特に注目すべきは、タイムカプセルから出てきた卒業アルバムに、6人の顔が黒く塗りつぶされていた場面です。

この演出は、「過去に悪いことをした人間=黒くされた顔」として“裁かれる側”であることを示しているようにも見えます。

しかし、物語が進むにつれて、「本当にその6人が加害者なのか?」という疑念が浮かび上がります。

扉の外で叫んでいた6人は加害者ではなく、傍観者だった可能性もあり、「見て見ぬふり」という“消極的な悪”の存在が浮き彫りになります。

表と裏が反転する、ねじれた構造

このドラマが描く「良いこと」と「悪いこと」は、表面的には判断できないねじれた構造を持っています。

当時「良い子」とされていた人物が、実は強い差別意識を持っていたり、「悪い子」とされた人物が、誰かを守る行動をしていた可能性も示唆されています。

園子が語る「私はあのことを一度も忘れたことはない」という言葉には、被害者の記憶は加害者が思っているよりもずっと深く刻まれているという現実が含まれています。

そしてその記憶は、今なお彼女のトラウマとなり、閉所恐怖症という形で表面化しているのです。

つまり、このタイトルは単なるキャッチーなフレーズではなく、「過去の“良い子/悪い子”の認識」と「現在起きている“良い事/悪い事”の現実」が交錯する構造そのものを意味しています。

主題歌『アゲハ蝶』に込められた犯人の心情とは?

ポルノグラフィティの代表曲『アゲハ蝶』が、令和のミステリードラマの主題歌に選ばれたことは、多くの視聴者を驚かせました。

しかしその歌詞をよく読み解くと、この楽曲は単なる懐かしさを誘う選曲ではなく、物語の根底にある「犯人の動機」や「心情」を反映した重要なピースであることが見えてきます。

ここでは『アゲハ蝶』の歌詞とドラマの展開を重ね合わせ、犯人像に迫っていきます。

歌詞から浮かび上がる「執着」と「贖罪」の感情

『アゲハ蝶』には、「あなたに逢えた、それだけでよかった」「夢で逢えるだけでよかったのに、愛されたいと願ってしまった」といった抑えきれない想いと葛藤が描かれています。

この感情は、小学生時代に園子に好意を寄せていた誰かの心情と一致しているように思えます。

その人物は、当時いじめを止めることができなかったという罪悪感を抱えたまま大人になり、園子が書いた記事を読んだことで「今なら守れる」「今こそ代わりに復讐を」と決意したのではないでしょうか。

「あなたが望むのなら、この身などいつでも差し出していい」という歌詞には、自己犠牲の覚悟や、歪んだ愛情の気配も感じられます。

つまり、犯人は園子を救う“ヒーロー”を演じようとしている可能性があり、それが第1話の「夢」のテーマとリンクしてきます。

犯人の感情とリンクする“夢”のメタファー

『良いこと悪いこと』では、各キャラクターが小学生時代に描いた「将来の夢」と、現在起きている事件が不気味に連動しています。

空を飛ぶ夢を描いた武田が転落死し、消防士になりたかった幹太が火災に巻き込まれたように、夢が死のモチーフになっているのです。

『アゲハ蝶』の歌詞でも、「荒野に咲いたアゲハ蝶」「冷たい水をください、できたら愛してください」など、夢に破れた者の孤独や渇望が表現されています。

これは、犯人自身が夢を叶えられず、園子に対する未練や執着を手放せずにいることの暗喩なのかもしれません。

「アゲハ蝶」という存在そのものが犯人を象徴?

アゲハ蝶は自由に舞う存在でありながら、どこか不安定で掴みどころのないイメージを持っています。

この蝶が、影から真実を操る犯人像に重ねられているとしたらどうでしょうか。

また、アゲハ蝶の「羽ばたき」は、小さな行動がやがて大きな事件へとつながる「バタフライ効果」の象徴とも読めます。

22年前の閉じ込め事件という“ささいな悪意”が、今になって人の命を奪う連鎖を生んでいることに通じているようにも感じます。

このように、『アゲハ蝶』の持つ幻想的で悲しみを帯びた世界観が、ドラマの事件の背景にある犯人の孤独と執着、そして歪んだ正義感にピタリと重なるのです。

犯人は猿橋園子への思慕を抱いた“あの同級生”?

第1話で明かされたのは、かつて猿橋園子が体育倉庫に閉じ込められたいじめの被害者であり、現在の事件はその“過去”と密接に関わっているという事実です。

黒塗りされた6人の顔、そして夢に沿った“皮肉な死”。これらをつなぐ糸の先に見えるのは、猿橋園子に対して特別な感情を抱いていた人物の存在です。

彼は園子を直接救うことはできなかった過去を悔い、今になってその贖罪として代わりに裁きを下そうとしているのではないでしょうか。

いじめを止められなかった「誰か」の贖罪としての復讐

犯人像として浮かび上がるのは、小学生時代に園子をいじめから守りたかったが守れなかった、もしくは見て見ぬふりをしてしまった人物です。

22年という時を経て園子の記事を目にし、彼女の過去の苦しみを知って胸を痛めたその人物は、「今なら守れる」「今度は見ているだけではいられない」と決意したのかもしれません。

その行動が「復讐」という手段になった時点で、正義は歪み、悪に変わるというのが、この物語の大きなテーマの一つでもあります。

候補として浮かぶのは“豊川健吾”か

犯人として疑われるのが、クラスメートの一人豊川健吾(トヨ)の存在です。

彼は6人グループには属していなかったものの、彼らと同じクラスで園子のことも知っていた人物です。

特に第1話では、彼の行動や台詞が少なく、描写の少なさ=裏の顔があるというミステリードラマならではのセオリーが働いています。

また、「夢を知っていた人物が犯人である」という構図からも、同じタイムカプセルの内容を見ていた同級生である豊川が有力と見られています。

「あなたに逢えた、それだけでよかった」――歪んだ思慕

『アゲハ蝶』の歌詞にある「あなたに逢えた、それだけでよかった」「でも、愛されたいと願ってしまった」という一節は、まさに犯人の心理を映し出しているように聞こえます。

園子に一方的な好意を抱き、それが叶わぬまま時間だけが過ぎた。

彼女が華やかに活躍する姿を見て、かつてのいじめの記憶と「何もできなかった自分」がフラッシュバックし、その感情が復讐衝動へと変質していったのではないでしょうか。

犯人は“愛されたい”と願いながら、園子に認知されないまま一線を越えてしまった人物。

そしてその行動は、「良いこと」のように見えて、結局は「悪いこと」に成り下がっている。

この善と悪の反転こそが、ドラマ『良いこと悪いこと』の最も怖く、そして深い部分だと言えるでしょう。

なぜ今『アゲハ蝶』なのか?選曲に秘められたメッセージ

2001年にリリースされたポルノグラフィティの『アゲハ蝶』は、20年以上前の楽曲です。

令和7年となる2025年に、あえてこの“平成の名曲”がドラマ主題歌に選ばれたことは、単なるノスタルジー演出では説明できません。

この選曲には、ドラマ『良いこと悪いこと』が描く過去と現在、善と悪、正義と復讐の交錯を象徴する意図が込められていると考えられます。

“平成”という時代のエモさが生む不安と恐怖

公式コメントでも語られているように、本作は平成という時代の“エモさ”を演出の一部として取り入れています。

卒業アルバム、タイムカプセル、夢の絵、スナックなど、懐かしい記号の数々が登場し、視聴者の記憶と感情に訴えかけてきます。

しかし、そうしたノスタルジックな空気感が、逆に不気味さや違和感を際立たせているのです。

まるで「懐かしいはずの思い出」が、実は誰かにとっては“呪いの始まり”だったかのように。

楽曲に込められた“時間の流れ”と“再生”のテーマ

ボーカルの岡野昭仁氏は、『アゲハ蝶』について「平成ど真ん中でリリースし、時間をかけて育った曲」と語っています。

そしてドラマもまた、「過去の出来事が今の人生にどう影響するのか」という時間の経過と因果をテーマに据えています。

また、歌詞の中にある「旅人に尋ねてみた、どこまで行くのかと/いつになれば終えるのかと」というフレーズは、犯人の心理や贖罪の旅を思わせます。

止まらない復讐の連鎖、終わらない記憶、それでも「終わらせることはできる」と思い込む誰かの信念。

この曲が持つスケールと情感が、ドラマのメインテーマとぴたりと一致しているのです。

視聴者の共感と違和感を同時に引き出す仕掛け

『アゲハ蝶』は、当時を知る世代にとっては強い思い出を持つ曲でもあります。

しかし、それを主題歌に据えたこのドラマでは、懐かしさと共に不気味な空気が漂う演出になっています。

たとえば、オープニングで『アゲハ蝶』が流れた瞬間に「なぜ今これが?」とSNSがざわついたように、視聴者は意図的に“考えさせられている”のです。

この違和感こそが、ドラマのミステリー性とリンクし、伏線として機能している可能性も考えられます。

『アゲハ蝶』はただのBGMではありません。

この曲を聴いたときに胸を締め付けられる感覚こそが、物語の真相と感情の震源地に直結しているのです。

「良いこと悪いこと」とアゲハ蝶が描く、罪と救いの物語まとめ

ドラマ『良いこと悪いこと』は、単なる学園サスペンスや復讐劇にとどまらず、人間が持つ「罪の記憶」と「救いへの欲求」を深く掘り下げた物語です。

その構造を補完するように、主題歌『アゲハ蝶』は過去に囚われた誰かの叫びを、美しくも切なく描き出しています。

ここでは改めて、これまでの考察と各要素のつながりを整理し、本作が示そうとしているテーマを総括します。

善悪は“現在”ではなく“過去”に潜む

本作において、「良いこと」も「悪いこと」も、そのほとんどは過去の出来事に起因しています。

閉じ込め事件、いじめ、無関心、傍観――当時は些細だったそれらの行動が、22年後の殺人事件という取り返しのつかない現実を生んでいるのです。

これは、自分では終わったと思っていた過去が、誰かの中では“今も続いている”という残酷な真実を突きつけます。

『アゲハ蝶』が象徴するのは「償い」と「報われなさ」

『アゲハ蝶』の歌詞に込められているのは、叶わなかった愛と救い、そして「もし届けられるのなら、あなたに届けばいいと思う」という切ない祈りです。

犯人は自分なりに「償い」をしているつもりかもしれませんが、その方法が歪んでいれば、結果として新たな“悪いこと”を生んでしまう

つまりこの物語は、「救い」とは何か、「正義」とは誰のためにあるのかを問いかける、哲学的なミステリーとも言えるのです。

真実に向き合うことが“良いこと”への第一歩

主人公・高木将が、かつて自分がいじめに加担していた事実と向き合い始めたように、過去の“悪いこと”を認めることが、物語の「良いこと」につながる第一歩なのかもしれません。

園子もまた、「自分は許さない」と言いつつ、真相解明に向けて動き出しており、復讐ではなく真実の追及こそが、救いの道であることを示唆しています。

つまり、『良いこと悪いこと』というタイトルが本当に問いかけているのは、「あなたは、その過去をどう受け止めますか?」という視聴者への問いなのです。

そしてその答えを探す旅路に、あの『アゲハ蝶』がそっと寄り添っている――。

そう感じさせる、深く美しいミステリードラマが、今まさに始まったばかりです。

この記事のまとめ

  • 『良いこと悪いこと』のタイトルは二重の意味を持つ
  • 主題歌『アゲハ蝶』は犯人の心情と深く関係
  • 過去のいじめが現在の事件の動機につながる
  • 犯人は園子に思いを寄せていた同級生の可能性
  • 夢に沿った死が“復讐”として実行されている
  • 『アゲハ蝶』の歌詞が犯人の贖罪と重なる
  • 平成的ノスタルジーが不気味さを強調
  • 選曲自体が伏線であり、視聴者へのメッセージ

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